2005年04月
2005年04月30日
関大生が野球「四国アイランドリーグ」デビュー
野球の独立リーグ「四国アイランドリーグ」で、現役関大生がデビューした。29日、愛媛県松山市の坊ちゃんスタジアムで行われた愛媛マンダリンパイレーツvs高知ファイティングドッグス戦で、高知所属の岸健太郎投手(22=文学部休学中)が2番手で登板。2回1/3を投げ被安打1、自責点0の満点デビューを果たし、高知の勝利に貢献した。
関西学生リーグで4年間出場機会のなかった男が、7067人の観衆の前で大仕事をやってのけた。テレビ・ラジオ中継もあった新リーグのメモリアルゲーム。マックス133キロの「遅い球」は、愛媛打線のリズムを狂わせた。打者9人に対し、許した安打は1安打。日本の野球発祥の地から、プロ入りの夢へ第1投を投じた。
岸投手は1982年(昭和57)、兵庫県生まれの22歳。西宮東高校から関西大学へ進んだ。今春に行われた同リーグのトライアウトに合格し、高知ファイティングドッグスに入団。180センチ、71キロ。左投げ左打ち。
関西学生リーグで4年間出場機会のなかった男が、7067人の観衆の前で大仕事をやってのけた。テレビ・ラジオ中継もあった新リーグのメモリアルゲーム。マックス133キロの「遅い球」は、愛媛打線のリズムを狂わせた。打者9人に対し、許した安打は1安打。日本の野球発祥の地から、プロ入りの夢へ第1投を投じた。
岸投手は1982年(昭和57)、兵庫県生まれの22歳。西宮東高校から関西大学へ進んだ。今春に行われた同リーグのトライアウトに合格し、高知ファイティングドッグスに入団。180センチ、71キロ。左投げ左打ち。
2005年04月28日
島田紳助さん消えていない「関大受験」
タレント・島田紳助さん(49)に、関大生・卒業生が様々な反応を見せた。紳助さんは来年4月の法学部法律学科入学を目指しているとされるが、関大生の反応は、“島田紳助受験生”に厳しいものだった。
紳助さんは、関大前に関大生向けの学生マンションを所有。子女2人も関大を卒業するなど、関大とは縁深い。だが、大学入学が「イメージ回復」に利用されるのでは、との意見が多かった。
法学部1回生の男子学生(19)は「不快です。芸能人だからといって、何でもやっていいわけじゃない。将来選挙に出る下準備ではないのか」とバッサリ。文学部3回生の女子学生(21)も「才能があるのだから、芸能界だけで生きていればいいのでは」と、疑問符を投げかけた。
女性マネージャーへの暴行事件を起こしただけに、女子学生・OGはやはり批判的。総合情報学部のOG(28)は「インテリタレントとして売っているだけに、大学受験とかあるんじゃないかと思っていました。でも、今回の事件でヤンキーの本性を見せたって感じですし…。彼なりの巻き返しなんでしょうけど、ウチの大学もなめられたものです」と話した。
“待望論"もある。「学生として入るよりも、教授になるほうが面白そう」(社会学部4回生の女子学生・22)「竜介も受けさせて、関大で紳助・竜介を復活させて欲しい」(経済学部3回生・21)との声も。
芸能関係者の話では、紳助さんは社会人入試やアドミッション・オフィス(AO)入試を受験する意向。両入試が行われる今年秋から正念場を迎える紳助さんの動向に、関大生・大学関係者の注目が集まる。
紳助さんは、関大前に関大生向けの学生マンションを所有。子女2人も関大を卒業するなど、関大とは縁深い。だが、大学入学が「イメージ回復」に利用されるのでは、との意見が多かった。
法学部1回生の男子学生(19)は「不快です。芸能人だからといって、何でもやっていいわけじゃない。将来選挙に出る下準備ではないのか」とバッサリ。文学部3回生の女子学生(21)も「才能があるのだから、芸能界だけで生きていればいいのでは」と、疑問符を投げかけた。
女性マネージャーへの暴行事件を起こしただけに、女子学生・OGはやはり批判的。総合情報学部のOG(28)は「インテリタレントとして売っているだけに、大学受験とかあるんじゃないかと思っていました。でも、今回の事件でヤンキーの本性を見せたって感じですし…。彼なりの巻き返しなんでしょうけど、ウチの大学もなめられたものです」と話した。
“待望論"もある。「学生として入るよりも、教授になるほうが面白そう」(社会学部4回生の女子学生・22)「竜介も受けさせて、関大で紳助・竜介を復活させて欲しい」(経済学部3回生・21)との声も。
芸能関係者の話では、紳助さんは社会人入試やアドミッション・オフィス(AO)入試を受験する意向。両入試が行われる今年秋から正念場を迎える紳助さんの動向に、関大生・大学関係者の注目が集まる。
2005年04月27日
2005年04月26日
生徒教えたのに“授業料”…「ファイト」被害関大生
昨年7月、山口地裁に民事再生法の適用を申請し、事実上倒産した山口県の家庭教師派遣会社「ファイトグループ」(本社・山口市、竹本幸正社長)が、3月末で会社を解散した。山口地裁が民事再生法に基づく再生手続きを廃止したため、同社は再建を断念。取締役会を開き、会社の解散を決議したもの。
「ファイトグループ」は関西大学商学部3回生の男子学生を含む、全国のアルバイト学生3千人の賃金1億円が未払いとなっているが、同社の代理人は「返済能力がない」としている。昨年1月からの4万円のバイト代を受け取っていない男子学生は「半分あきらめていたので。いい社会勉強になりました。ただ、生徒を教えたのに、高い“授業料”を払うことになるとは…。たぶん関大生で家庭教師をやっている人は多いと思うが、悪徳業者には気をつけてほしいし、少しでもおかしいと思ったら行動を起こしたほうがいい」と、やるせない表情で話した。
「ファイトグループ」は関西大学商学部3回生の男子学生を含む、全国のアルバイト学生3千人の賃金1億円が未払いとなっているが、同社の代理人は「返済能力がない」としている。昨年1月からの4万円のバイト代を受け取っていない男子学生は「半分あきらめていたので。いい社会勉強になりました。ただ、生徒を教えたのに、高い“授業料”を払うことになるとは…。たぶん関大生で家庭教師をやっている人は多いと思うが、悪徳業者には気をつけてほしいし、少しでもおかしいと思ったら行動を起こしたほうがいい」と、やるせない表情で話した。
2005年04月23日
三枝教授が“カミングアウト”
5月から文学部の総合講座「日本学」で「笑いの人間学」の講義を担当する桂三枝客員教授(61)が、2月17日に行われた就任会見で“カミングアウト”した。三枝教授が関大に在学していたのは知られているが、意外に知られていなかったのが「中退」の事実。タレント名鑑などのプロフィールでは「関大卒」になっているものもあり、会見で卒業していないことを明かした。
三枝教授は1963年(昭和38)に商学部入学。同年に来学した桂米朝の落語に魅せられ落語研究会「落語大学」を設立した。4回生だった66年に学園祭後、桂小文枝(後の桂文枝=故人)に入門したため、卒業に必要な単位を取得していない。
三枝教授は会見で「ほとんど授業に出ていなかったが、学生の出欠は細かくチェックしたい。厳しい客員教授になりたい」と“笑魂伝承”へ意欲。「落語大学」の顧問就任も示唆した。
卒業直前で去った千里山キャンパスに40年後、教鞭を執る側として戻ってきた三枝教授。卒業こそ叶わなかったが、客員教授の職を全うすることで関大生活に“オチ”をつける。
三枝教授は1963年(昭和38)に商学部入学。同年に来学した桂米朝の落語に魅せられ落語研究会「落語大学」を設立した。4回生だった66年に学園祭後、桂小文枝(後の桂文枝=故人)に入門したため、卒業に必要な単位を取得していない。
三枝教授は会見で「ほとんど授業に出ていなかったが、学生の出欠は細かくチェックしたい。厳しい客員教授になりたい」と“笑魂伝承”へ意欲。「落語大学」の顧問就任も示唆した。
卒業直前で去った千里山キャンパスに40年後、教鞭を執る側として戻ってきた三枝教授。卒業こそ叶わなかったが、客員教授の職を全うすることで関大生活に“オチ”をつける。
KWA出身 椹木健二さんプロデビュー
関西大学プロレス連合(KWA)の学生プロレスラー「ダンカン椹木」として活躍していた椹木健二さん(さわらぎ・けんじ=23、経済卒)が4月5日、埼玉県川越市の本川越ぺぺホールで行われたプロレス団体「WMF」の興行で正式にプロデビューした。
第1試合で、同団体のジュニア王者GOEMONと対戦。5分43秒、逆片エビ固めで敗れたが、ムーンサルトプレスを出すなど新人離れしたファイトを展開。プロ初戦で“関大魂”を見せつけた。
椹木さんは、昨年5月に行われた同団体のプロテストに合格。同年8月8日に東京都北沢タウンホールで行われたテストマッチに出場し、以来大会の“第0試合”に出続け正式デビューにこぎつけた。
経済学部3年だった2002年、就職課主催のセミナーで「自分のやりたいことを仕事にしないと、長続きしない」との講師の言葉に後押しされ、プロレスラーを志した椹木さん。「やっと団体の一員として認められた。試合ができることだけでも幸せです」と話した。
第1試合で、同団体のジュニア王者GOEMONと対戦。5分43秒、逆片エビ固めで敗れたが、ムーンサルトプレスを出すなど新人離れしたファイトを展開。プロ初戦で“関大魂”を見せつけた。
椹木さんは、昨年5月に行われた同団体のプロテストに合格。同年8月8日に東京都北沢タウンホールで行われたテストマッチに出場し、以来大会の“第0試合”に出続け正式デビューにこぎつけた。
経済学部3年だった2002年、就職課主催のセミナーで「自分のやりたいことを仕事にしないと、長続きしない」との講師の言葉に後押しされ、プロレスラーを志した椹木さん。「やっと団体の一員として認められた。試合ができることだけでも幸せです」と話した。


