ブースポブログ

関西大学と関大前の情報紙「ブームスポーツ」のWEB版です。次号第12号は10月上旬に発行します!

2005年04月30日

2005年04月

関大生が野球「四国アイランドリーグ」デビュー

 野球の独立リーグ「四国アイランドリーグ」で、現役関大生がデビューした。29日、愛媛県松山市の坊ちゃんスタジアムで行われた愛媛マンダリンパイレーツvs高知ファイティングドッグス戦で、高知所属の岸健太郎投手(22=文学部休学中)が2番手で登板。2回1/3を投げ被安打1、自責点0の満点デビューを果たし、高知の勝利に貢献した。
 関西学生リーグで4年間出場機会のなかった男が、7067人の観衆の前で大仕事をやってのけた。テレビ・ラジオ中継もあった新リーグのメモリアルゲーム。マックス133キロの「遅い球」は、愛媛打線のリズムを狂わせた。打者9人に対し、許した安打は1安打。日本の野球発祥の地から、プロ入りの夢へ第1投を投じた。
 岸投手は1982年(昭和57)、兵庫県生まれの22歳。西宮東高校から関西大学へ進んだ。今春に行われた同リーグのトライアウトに合格し、高知ファイティングドッグスに入団。180センチ、71キロ。左投げ左打ち。

2005年04月27日

2005年04月

関大生1人死亡〜JR列車事故

 JR福知山線で25日起きた快速電車の脱線事故による犠牲者に、兵庫県三田市に住む総合情報学部2回生の女子学生(19)がいることが26日、分かった。関西大学はこの日までに、この女子学生が脱線事故により死亡した事実を確認。ホームページ上で公表した。
 この女子学生は自宅のある三田市から高槻キャンパスへの通学中、事故に巻き込まれた。女子学生の母親は、報道各社の取材に「ショックです」と話し、JRの対応に怒りをあらわにした。
 関西大学は26日夜現在、被害に遭った学生や、振替・代行輸送などによる交通の乱れで授業に遅刻・欠席した場合への措置を発表していない。

2005年04月26日

2005年04月

生徒教えたのに“授業料”…「ファイト」被害関大生

 昨年7月、山口地裁に民事再生法の適用を申請し、事実上倒産した山口県の家庭教師派遣会社「ファイトグループ」(本社・山口市、竹本幸正社長)が、3月末で会社を解散した。山口地裁が民事再生法に基づく再生手続きを廃止したため、同社は再建を断念。取締役会を開き、会社の解散を決議したもの。
 「ファイトグループ」は関西大学商学部3回生の男子学生を含む、全国のアルバイト学生3千人の賃金1億円が未払いとなっているが、同社の代理人は「返済能力がない」としている。昨年1月からの4万円のバイト代を受け取っていない男子学生は「半分あきらめていたので。いい社会勉強になりました。ただ、生徒を教えたのに、高い“授業料”を払うことになるとは…。たぶん関大生で家庭教師をやっている人は多いと思うが、悪徳業者には気をつけてほしいし、少しでもおかしいと思ったら行動を起こしたほうがいい」と、やるせない表情で話した。

2005年04月23日

2005年04月

三枝教授が“カミングアウト”

 5月から文学部の総合講座「日本学」で「笑いの人間学」の講義を担当する桂三枝客員教授(61)が、2月17日に行われた就任会見で“カミングアウト”した。三枝教授が関大に在学していたのは知られているが、意外に知られていなかったのが「中退」の事実。タレント名鑑などのプロフィールでは「関大卒」になっているものもあり、会見で卒業していないことを明かした。
 三枝教授は1963年(昭和38)に商学部入学。同年に来学した桂米朝の落語に魅せられ落語研究会「落語大学」を設立した。4回生だった66年に学園祭後、桂小文枝(後の桂文枝=故人)に入門したため、卒業に必要な単位を取得していない。
 三枝教授は会見で「ほとんど授業に出ていなかったが、学生の出欠は細かくチェックしたい。厳しい客員教授になりたい」と“笑魂伝承”へ意欲。「落語大学」の顧問就任も示唆した。
 卒業直前で去った千里山キャンパスに40年後、教鞭を執る側として戻ってきた三枝教授。卒業こそ叶わなかったが、客員教授の職を全うすることで関大生活に“オチ”をつける。
 

KWA出身 椹木健二さんプロデビュー

 関西大学プロレス連合(KWA)の学生プロレスラー「ダンカン椹木」として活躍していた椹木健二さん(さわらぎ・けんじ=23、経済卒)が4月5日、埼玉県川越市の本川越ぺぺホールで行われたプロレス団体「WMF」の興行で正式にプロデビューした。
 第1試合で、同団体のジュニア王者GOEMONと対戦。5分43秒、逆片エビ固めで敗れたが、ムーンサルトプレスを出すなど新人離れしたファイトを展開。プロ初戦で“関大魂”を見せつけた。
 椹木さんは、昨年5月に行われた同団体のプロテストに合格。同年8月8日に東京都北沢タウンホールで行われたテストマッチに出場し、以来大会の“第0試合”に出続け正式デビューにこぎつけた。
 経済学部3年だった2002年、就職課主催のセミナーで「自分のやりたいことを仕事にしないと、長続きしない」との講師の言葉に後押しされ、プロレスラーを志した椹木さん。「やっと団体の一員として認められた。試合ができることだけでも幸せです」と話した。
 
boomsports at 01:50|この記事のURLComments(0)TrackBack(1)KWA 
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