猪木の1、2、3ダァー!は関大発
【カウントダウン学園祭2009〜統一学園祭まであと184日】
アントニオ猪木の「1、2、3ダァー!」が誕生したのは、関大の学園祭だった。特許庁に商標登録までされた、おなじみのかけ声。イベントなどで「ひと鳴きギャラ100万円」とも言われる闘魂の代名詞は、関大生のひょんなアドリブから生み出された。
1989年(平成元)の統一学園祭。85年以来、2度目の関大来学となった猪木講演会の会場は、熱気に包まれていた。一般学生・プロレスファンに混じり、スポーツ紙や一般紙、ワイドショーの取材陣が殺到。学生スタッフが、対応に追われるほどだった。
異常なまでの熱気には、ある理由がある。同年7月に行われた参議院選挙で当選。日本初の国会議員レスラーとなった猪木だが、関大での講演会直前、福島県での講演中に暴漢に首をナイフで切られ、重傷を負ったのだ。
現役国会議員のテロ禍に、一般紙やNHKも大報道。事件後、初めて訪れた公の場所が千里山キャンパスだったのだ。
超満員の学生に、一流のアントン・ジョークを交えながら燃える闘魂を伝授。講演会の最後、司会の学生が「私が1、2、3と数えた後に皆さんでダァー!をやりましょう」と呼びかけた。
猪木はこれを快諾。学生とともに右コブシを天に向かって突き上げたが、これが「1、2、3ダァー!」が産声を上げた瞬間。会場の盛り上がりに、猪木も“これは使える”とほくそ笑んだのではないだろうが。
プロレスの文献をひも解くと、猪木がリング上で「1、2、3ダァ〜ッ」と雄叫びを上げたのは、翌年の2・10東京ドーム大会とされている。関大での講演会後、初めてリングに足を踏み入れた時だった。
アントニオ猪木の「1、2、3ダァー!」が誕生したのは、関大の学園祭だった。特許庁に商標登録までされた、おなじみのかけ声。イベントなどで「ひと鳴きギャラ100万円」とも言われる闘魂の代名詞は、関大生のひょんなアドリブから生み出された。
1989年(平成元)の統一学園祭。85年以来、2度目の関大来学となった猪木講演会の会場は、熱気に包まれていた。一般学生・プロレスファンに混じり、スポーツ紙や一般紙、ワイドショーの取材陣が殺到。学生スタッフが、対応に追われるほどだった。
異常なまでの熱気には、ある理由がある。同年7月に行われた参議院選挙で当選。日本初の国会議員レスラーとなった猪木だが、関大での講演会直前、福島県での講演中に暴漢に首をナイフで切られ、重傷を負ったのだ。
現役国会議員のテロ禍に、一般紙やNHKも大報道。事件後、初めて訪れた公の場所が千里山キャンパスだったのだ。
超満員の学生に、一流のアントン・ジョークを交えながら燃える闘魂を伝授。講演会の最後、司会の学生が「私が1、2、3と数えた後に皆さんでダァー!をやりましょう」と呼びかけた。
猪木はこれを快諾。学生とともに右コブシを天に向かって突き上げたが、これが「1、2、3ダァー!」が産声を上げた瞬間。会場の盛り上がりに、猪木も“これは使える”とほくそ笑んだのではないだろうが。
プロレスの文献をひも解くと、猪木がリング上で「1、2、3ダァ〜ッ」と雄叫びを上げたのは、翌年の2・10東京ドーム大会とされている。関大での講演会後、初めてリングに足を踏み入れた時だった。