2009年05月22日
学園祭人気なかった人・来なかった人【カウントダウン学園祭】
【カウントダウン学園祭〜統一学園祭まであと162日】
矢井田瞳やオレンジレンジ、ケツメイシ、MISIAなど、チケット争奪戦が起こるほどの学園祭ライブもあれば、そうでない人たちもいる。今回は人気がイマイチだったアーティストや、諸般の事情で関大の学園祭に来れなかった芸能人をの裏ネタを紹介する。
【学園祭実行委員総動員?】
07年の学園祭ライブには、平原綾香が来学。同年の10月12日、千里山キャンパスでチケットが先行発売されたが…午前8時30分の整理券配布時点で、並んでいたのは約40人【写真は07年10月12日・総合図書館前】。前年のSoweluとmelody.のジョイントライブでも、約500人の学生が並んでいたことを考えると、相当少ない数だった。
学内の一般発売後もチケットがさばけず、困った学園祭実行委員会は元実行委員の卒業生に「チケット買ってください〜」と必死の電話作戦。11月3日のライブ当日はそれなりの観衆で中央体育館は埋まったが、大半は元学園祭実行委員の卒業生とその関係者だったようだ。
【島谷ひとみ】
02年はカバー曲「亜麻色の髪の乙女」がヒットしていた島谷ひとみが来学したが、チケットの売り上げがまったく伸びなかった。ライブ開始ギリギリまで、学園祭実行委員の面々がプラカード片手に学生を呼び込んでいた。
【RIKACOドタキャン】
95年の学園祭ではタレントのRIKACOが講演会を開く予定だったが、学園祭直前の10月下旬になって妊娠が発覚。体調不良のため、急遽中止となった。チケットを売り出していたために、主催したサークルは真っ青。払い戻しなどの対応に追われた。
【PUFFY、田代まさし…都合により来れなかった人】
96年の学園祭ではPUFFYの学園祭ライブが企画され、所属事務所との間で交渉が続けられていたが、スケジュールの交渉がつかず断念。ラッツ&スター(鈴木雅之や田代まさし、桑野信義がいたグループ)や岩崎宏美も一度学園祭ライブが企画されながらもお流れになっている。
【正門から入って気づかれなかった人】
学園祭の出演者はタクシーなどで来学し、実行委員などが待つ秘密の通用口から学内に入ることが多いが、当時深夜ラジオで絶大な人気を誇っていたつボイノリオは、83年の学園祭で講演会を行う際、正門から入り会場まで徒歩で移動した。だが、ラジオスターの悲劇か。テレビへの露出が極端に少なかったためか、誰にも気づかれなかったという前代未聞のハプニングを起こした。
【学園祭が新型インフルエンザで中止にならないように…祈るブームスポーツ編集局】