2015年01月18日
阪神・淡路大震災から20年 関大前からも思い

あれから20年。千里山キャンパス正門前のカフェ・ムーランでは15日、Talk Aboutと題したトークイベントが行われた。小島汀さん(おじま・みぎわ、23=文4)が、20年前の被災体験を振り返りながら「大切な人を想うこと」というテーマで関大生20人と語り合った。【写真上・トークイベントで自らの体験を話す小島汀さん 写真下・休学を含めて関西大学には5年在籍。3月には卒業を控える=撮影・金洋秀】
震災を語り継ぐ活動や東北復興支援に取り組む小島さんは、当時3歳だった。住んでいた芦屋市のアパートが全壊し生き埋めに。約3時間後に救出されたが、36歳の父を亡くした。
心の傷に苦しんだが、プロ野球楽天の星野仙一シニアアドバイザー(67)との出会いが大きな転機となった。2002年4月、当日阪神監督だった星野さんの招きで、遺児の奨学金と心のケアを行うあしなが育英会の仲間とともに、甲子園球場を訪れた。
「僕も生まれる前に父を亡くした。君たちと同じような環境の中で頑張ってきた。とにかく負けるな。夢を持って、勇気を出して前に進もう」
星野さんの言葉を、今でもはっきり覚えている。「これまでやってこれたのは、星野さんのおかげ。温かいし、プロ野球選手を超えた、人の背中を押す何かを持っている」。闘将の激励は、閉じこもりがちだった小島さんを変えた。
兵庫県立舞子高環境防災科から関大へ進学。東北復興支援活動中をしていた13年には、宮城県石巻市で星野さんと再会した。甲子園の1塁アルプス席で売り子のアルバイトをし、東北での活動費を稼いだ。元阪神の桧山進次郎さんとも、震災遺児施設の活動を通じて交流を深めた。現役時代には「がんばってビール売れよ〜」と、グラウンドから手を振られたこともあったという。
卒業論文にはあしなが育英会の20年と、阪神・淡路大震災時の受けた支援の必要性をテーマに選んだ。節目の年を迎えても「ひとつの区切りではあるけど、震災への思いや記憶が終わったりするわけではない。震災以降会った人と、20年経ってもつながっている。人を思い続けるということの大切さを教えてもらった」と話す。4月からブライダル関係の会社に就職するが、東北への支援活動や被災体験を語る活動はライフワークとして続けていく。
